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ことばにすること~旧ブログからの転載~

2021/10/26

こんにちは。

国語を指導していて、どうしようと思うことがいくつかありますが、その一つが語彙習得、知識習得の指導です。

「暗記」と一言で片付けてしまうこともできますが、中身の伴わない暗記は本当の習得までに多くの時間を費やしていまいます。また、単に「語彙力がない」「知識がない」といっても、その度合い、背景はさまざまです。一律に、「これが方法だ」というものがありません。

そんな悩みを以前も抱えていたことを明らかにする記事がありました。2012年12月5日に旧ブログに掲載した記事です。以下に転載いたします(一部、加筆修正)。

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さて、昨日の授業から1つ。

何かをことばにすることについて考えてみたいと思います。

(1)ものや動作、感情などすでにそれに該当することばがある場合
これは知識さえあればいくらでも操れるでしょう。たとえば、今日の給食は何だったかという質問に対して、キャベツとレタスとパプリカのサラダだった、ぶりの照り焼きだった、ほうれん草の味噌汁だった、など知識の量によってことばにすることができます。
(2)連想をする場合
「山」から思い浮かぶものって何があるでしょうか。たとえば「登る」「山菜」「木」「鳥」「緑」「高い」「虫」…これも知識の量によるところがあるでしょうが、それだけではなく、ことばとことばを結びつける思考というものが求められるように思います。
(3)説明をする場合
「あなたはある店で万引きの現場を見てしまいました。犯人を見たのはあなただけです。犯人の特徴を警察官に伝えることができますか?」
知識だけではあきらかに難しいでしょう。物事、特徴をことばによって正確にとらえる観察力が必要です。観察という行為もことばにするという行いと同じことなのです。名前も知らないものの特徴をことばを選びながら形付けていく。知識と同時にもっと高度な力が求められます。
(4)話をつくる場合
自分の周りで起こった出来事を順序だてて話をつくっていく。あるいは自分の周り以外のところで起こった出来事、まったく「うそ」の出来事を順序だてて話をつくっていく。知識だけでは難しいでしょう。知識を調理するちからも必要になります。

ことばにするといってもいろいろなレベルがあります。国語の勉強ってこういう段階をしっかり認めながら進めないといけないように思います。
(1)の段階で苦戦している子についてはとにかくものを知ってもらうしかないでしょう。そのとき、単純な暗記だけではないなんらかの工夫が必要になるかもしれません。
(2)の段階で苦戦する子については持っている知識の幅を広げてあげる支援をしてあげるといいかもしれません。
(3)の段階であれば、とにかくいろいろなものに興味を持ってもらうことで目の前のことをことばにする訓練をしてもらえるといいかもしれません。
(4)の段階であればとにかく読み手、聞き手のことを考えて伝える練習が必要で、その練習にはとにかく話を作りやすい環境をつくってあげられるといいかもしれません。

ちょっと思いつきで書いているので、私自身「?」がつくところもいくつかありますが、国語の勉強には「こうすればこうなる」というテクニック的なお付き合いをするのではなく、しっかりことばを大切にしていく姿勢をもったお付き合いをしていかないといけないのだなと思います。

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(補足)
9年ぐらいの記事です。その時に比べると、語彙や知識の習得を目指す参考書、問題集はずいぶん増えました。もちろん、当学院でもそういった書籍を使っています。しかし、使いながらも、これで大丈夫という確信がなかなか持てないものです。使っているとき、あるいは一定の期間は「覚えている」ことはできるのでしょうが、それが「本当の習得」になっているのかどうかは今もって不安です。

もやもやとした話なのですが、私たちは生まれてから言葉を習得するときに、そもそもこんな書籍を使ってはいません。「りんご」「自転車」「畳」「ふすま」、「食器棚」、「長い」、「しんどい」、「検索する」・・・これらの言葉は参考書や問題集を通して身についたものではありません。具体的な、日常使われる言葉であれば、目で見たり、耳で聞いたり、実際に行動したり、感じたりしながら、それを言葉として習得としたはずです。私たちは生まれてから「中身の伴う暗記」を無自覚に行ってきたのです。

といっても、国語という教科であつかう言葉はもっと幅広く、抽象的な言葉もあります。そういった言葉を理解するには、やはり土台となる言葉が必要になるのです。言葉だけではありません。知識や経験も必要になるのです。学年が上がるにつれて、そのような抽象的な言葉が増えてくるのです。

高校生の現代文の副教材として現代文の用語集もあります。評論・論説、小説などに使われる言葉がまとめられた教材です。この中には抽象的な言葉も多く収録されています。では、その用語集に収められている言葉を読んで理解し、覚えるためには、その用語を説明している言葉や現象、動作、感情などをそもそも知っていなければならないのです。抽象的な言葉を理解するためには、具体的な言葉を日常の中で、また経験の中で知っておかなければならないのです。

言葉の習得と言うのは簡単です、しかし実際にそれを指導し、子どもたちに身につけさせるにはいろいろな工夫が必要になるのです。学年に応じた対応も必要になります。

こういうことをずいぶん考えてきたんだなと思う記事を発見しました、という話でした。

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