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音読から黙読へ

2022/03/06

「音読をしましょう」「声に出して読んでみましょう」「音読のすすめ」

国語が苦手な子に以上の言い方で音読を勧める文言をよく目にします。
声に出して読むことの効能はしばしば聞かれます。まず目に入る、口に出す、耳に入る。
一つの文章を声に出して読むだけでも、3つの器官を利用するのですから、効果があり!ということなのでしょう。それは私も分かります。

しかし、それを「いつも」、「いつまでも」続けることができるのでしょうか。
また、何が何でも音読ということに頼っていいのでしょうか。

笑い話ではないのでしょうが、試験当日に国語のテストで音読なんてしていたら、みんなびっくりしてしまいます。テスト中は声に出して読むことはできません。

大人になって、通勤途中に本を読む時に声に出して読むこともできません。

「音読」はいつか卒業するものなのです。
では、その卒業のタイミングはいつでしょうか。

国語の偏差値が60以上になったときか。先が見えにくいですね。
文章の意味が分かるようになったときか。
音読の仕方次第では、いつまでたっても卒業できませんね。

話は少し外れますが、何でもかんでも「回数」で勉強の質を担保することができるのかという問いを考えてみましょう。
漢字を10回書いて覚えられなかった、テストでミスをしてしまった、という時に、「では20回書いてみよう」「100回書いてみよう」、・・・「人の何十倍練習しよう」なんて話になって、本当に漢字は書けるようになる保証があるのでしょうか。確かに初学の時にはある程度の数の練習は必要だと思いますが、それを差し引いても、なんでもかんでも回数を学びに置き換えるのは無理が少々あるのではないでしょうか。

「回数」の積み重ねは「学び」を「作業」に変えてしまいます。「作業」になったとたんに、習得への距離は離れていきます。

「音読」も回数が積み重なれば、いずれ「作業」になります。ただ、文字を声に変換するだけの作業です。これでは何を習得しようとしているのか分からなくなります。

「音読」の打ち切りは、「作業」になったときです。惰性で声を出しているぐらいなら、黙って、集中して文章と向き合っていた方がはるかに内容を理解できます。さらに余裕が出てくれば、その内容について吟味することもできるでしょう。「黙読」への入門の時期を遅らせてしまうと、本当の意味での「文章との向き合い」ができなくなってしまいます。

「いつも音読しているけども、・・・」ということでしたら、もしかすると「黙読」への入門時期かもしれません。いかがでしょうか。

※「音読」指導、「黙読」指導、「文章との向き合い」方、いずれも当学院で行っています。
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