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母国語/外国語

2022/08/06

現在、小学校から外国語として英語を学習します。学年によりそこに費やされる授業時間は異なりますが、いずれにしても、外国語を学ぶことは確かです。同じくして、小学校には国語の授業があります。つまり、国語と英語が同時進行で学ぶ状況にあるのです。

こんなことは言われなくても、各種メディアを通じて小学校での英語教育について議論がされているのでご存じのことと思います。まして、当学院は「国語専科」の教室ですので、小学校での英語教育に首を突っ込む力量はございません。

それよりも、国語についてです。英語教育、英語習得のうんちゃらについてはいろいろ伝えられている一方で、国語教育、母国語の活用についてのうんちゃらはメディアではあまり伝えられていないのか、はたまた、私の耳や目には入ってこないのか、どうも扱いに差があるのではと思うのです。

多様性に富む現在の社会状況の中で、表現しにく言い回しになるのですが、生まれながらの初期設定で、日本語を使って話す親から、日本国内で生まれ、最初に獲得した言語が日本語である人々にとって、日本語は母国語ということになるでしょう。その日本語の獲得において、それは空気を吸うように習得したものですから、呼吸をするがのごとく、母国語である日本語に無自覚になっているところかもしれません。空気は、現在いろいろ課題もあるところですが、無限に、好きなように吸うことができます。母国語である日本語も、好きなように使うことができます。英語とはちがい、母国語である日本語はたいした苦労もせずに獲得でき、それなりに使っている言語ですから、英語よりも無意識となり、その存在を当然のものとしてしまうのでしょう。

この言い回しは別に私のオリジナルなものではありません。今は亡き米原万里さん(ロシア語通訳者)の「不実な美女か 貞淑な醜女か」という書籍の中の言い回しです。そのような状況をとら、米原さんはトルストイの「戦争と平和」を引き合いに出し、以下のような文言を残しています。

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 要するに、人間にとって、何はともあれ最大の関心事は自分で、自分の時間、自分のエネルギーや努力、自分の資金を注いだ対象ほど、愛着を覚えるものらしい。母国語についてもまったく同じことがいえる。
 そして、日本のごく普通の一般的な学校教育に占める日本語の位置は、そのいずれの面でも、恵まれている状況とはほど遠い。

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 学校教育における国語(日本語)の学習の質や量について、ここで云々かんぬんしようという話ではないが、空気のごとく、当然のように使っている日本語に対して、子どもたちはもっと意識的になる必要があるのではと感じるのです。

これも言い方を間違えると、「日本語バンザイ、日本バンザイ」と切り取られてしまいそうですが、そういうことでは決してなく、日常のどの学習の中でも、今自分たちが使っている日本語を冷静な眼差しでみつめてもらいたいと思うのです。自分が書いた文に対して、「主語・述語はきちんと対応しているかな。」「修飾語の位置はここでいいのかな。」「ここの助詞は”が”がいいかな、”は”がいいかな、あるいは・・・。」といったことに自分の目をちょっと向ける、あるいはそばにいる学習指導者が気にかけてあげることがもっと増えればいいのではないかと思います。

そういう意味で英語だけではなく、国語の文法もきちんと学ぶ必要があると思うのです。(やや強引な展開・・・)

こんな講座がございます。

【定期テスト対策】中学国語文法の解説と演習【中学生対象】
https://www.street-academy.com/myclass/142490?conversion_name=direct_message&tracking_code=92dc66b9c2f3811faab7d13f13e68bf8

上記の講座のご受講をお待ちしております。

最後になります。今、私たちは母国語である日本語を空気のように使っています。しかし、英語にしろ、フランス語にしろ、どの外国語も、その空気となる日本語がなければ、どうしようもなくなってしまいます。外国語とのお付き合いをお考えになるのであれば、まず空気である日本語をしっかり吸っておかなければならないのではないでしょうか。

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