2022/09/09
こんにちは。
小学校と中学校・高校での国語の学習の決定的な違いは、内容の抽象度にあると思います。
中学校以降は、抽象度(ここでは、世の中の事象、あるいは私たちの世の中を遙かに越えた事象をまとめて述べていることによる、その内容の感覚的な確認のしずらさ)がますます高くなってきて、身近な内容にまったく思えなくなってくるのが、文章の難しさとなって現れてきます。
抽象度が高い文章というのは1つ、2つ読んだからといって、すぐに理解できるようになるものではありません。抽象度の極限までいった哲学の原典を1冊、2冊読んだからといって、その内容を分かるというところまでなかなかいかないのと同じように、中学生・高校生がちょっと抽象的な内容を読んだからといって、すんなり分かるわけではありません。
とはいっても、「じゃあ、国語ができる人ってどうなんだ」ということになりますね。
そういう人たちは、小さいころから本を読むことで、あるトレーニングができているのです。それは抽象的な内容を、具体的な内容に置き換えるトレーニングです。
具体的な内容というのは別に自分の生活の中だけでなくてもいいのです。本の中で描かれている具体的な生活、具体的な人間模様、具体的な世のあらましを知っているから、抽象的な語彙を備えていれば、具体的な事柄に置き換えることができるのです。
では、それを国語・現代文が苦手な人が実行してできることなのかというと、正直難しいと思います。そもそも国語・現代文を苦手とする人というのは、活字を読むことが苦手、活字を見ると眠くなる、活字はただの文字の羅列に見える、読んでも内容が頭に入ってこない人であるか、あるいは、文章をただの文字情報としてとらえ、その情報から問いに準じた情報を得ようとする人たちだからです。(多少偏見があるかもしれません。私の経験からの私見です。)そのような人がこれまで本を読んでいた人間と同等になれるかというとそれは難しいことなのです。
では、どうすれば良いか。抽象的な文章をゆっくり読みながら、具体的にどういうことを言っているのかということを一つ一つ確かめながら読む訓練をするしかないのです。大切なのは抽象的な内容と具体的な内容の行き来を頭の中で内容を整理しながら行っていくことなのです。
「論理的なんちゃら~」というのは後の話で、まず、文章全体の大枠をつかみながら、要するにこういう話なんだろと自分で文章を咀嚼できるようにする訓練をしていければいいのです。
と書かれも、では何するのかという話になります。
新書レベルでいいので、自分が興味ある分野の書籍(ガッツリ難しい言葉で書かれた書籍)をまずは1冊お手にとって、超「遅読」(10分で1ページしか読めないという速度かな?)でもいいので、まずは一冊読み切ることです。たぶん、最後まで読んでも分からないままだと思います。そして同じテーマの別の書籍をもう1冊読む、また別の本をとしていくと、共通する話が必ず出てきます。それを得られれば、その専門についての基本的な知識がついたことになります。その知識が得られれば、抽象的な話に具体的な話をかぶせることができるようになるでしょう。要するに、本から得た知識をしっかり蓄えることが大切なのです。
■ポイント■
①抽象度の高い文章へのアプローチに必要なこと
1.具体的な事柄への返還
2.読み取るための基本知識
②必要な訓練
とにかく、難しい本を何冊か読む。
問題集でいいじゃないかという意見も聞こえてきそうですね。それでもいいと思います。ただ、ぶった切られた文章ですから、その前後が見えないと理解しにくいところもあります。その理解しにくいところは基本知識で埋めるしかないのです。その基本知識を得るためにまずは難しい本を読んでみてほしいのです。
わたしも読みました。背伸びして岩波新書や中公新書、講談社現代新書など、インターネットがまだない時代に書籍を求めていろいろな本やをまわって探して買っていました。本を読むトレーニングで得た"筋力"が抽象度の高い文章へのアプローチには必要だと思います。
ちょっとハードな話ではあるのですが、頑張ってもらいたいことではあります。
※基礎知識を得るちょっとしたアイテムとして、国語・現代文の用語集、国語便覧などを眺めるのは有効です。どうしても「本を読むのはつらい」という場合には、まずここからスタートしてみてはいかがでしょうか。
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