最近、体験授業を通じて改めて感じたことがあります。
それは、国語という教科の重みです。重みがあるからこそ、指導には時間も手間もかかるのです。
例えば、作文指導。
ただ、「がんばったね。ま~る!」とだけ印をつけるだけなら、だれでもできます。
読まなくたってできます。でも、それでその子の文章を書く実力は伸ばすことができるのでしょうか。
文章を上手に書いてもらいたいと願うのであれば、どこがおかしくて、どう直す必要があるのかをきちんと指摘しなければいけません。
文章読解の指導はどうでしょう。
文章を読みました。それじゃあ、問題を解いてみて。
それだけで文章を教えていることになるのでしょうか。
この文章はどんな内容だったかな?ちょっと難しいかったかな?これはね…。というように、きちんとその内容の理解が深まるように導いてあげなければならないでしょう。
そういった指導をするというのは、ものすごくエネルギーがいることです。
それは授業だけではありません。授業後のフォローも非常にエネルギーが必要になるのです。
さて、このエネルギーに対して、「コスパ重視」という考えを持ってよいのでしょうか。
コスパとはすなわち省エネです。省エネの学習指導を受けさせられた児童・生徒の身になってみてください。
彼らの先にあるのは、時間の浪費です。「時は金なり」という言葉がありますが、よく考えてみれば、時間は金では買えない貴重なものです。つまり、コスパを追い求めた学習指導を追い求めるということは、金よりも春かに貴重で尊い時間を失うことになるのです。
たしかに、教育は「投資」であると同時に、「コスト」でもあります。残念ながら、現在の日本は教育に対してこのような感覚でしか捉えられなくなってしまいました。「投資」といったときには、「リターンが得られる」大人に成長してもらいたい。「コスト」といったときには、子どもの、大人の意に反する行為に対して、懐を大きくして見守ることもできなくなります。結局、子どもは大人にとって何なのかが分からなくなってしまいます。子どもに学をつけさせるのが親の義務?それを聞いた子どもはどんな思いを抱くでしょうか。
中国の文学者・魯迅の「狂人日記」は次の一文で作品を締めています。
救救孩子!(子どもを救え!)
これは古い伝統に蝕まれた社会の中で、もし希望があるのであれば、それはまだ何ものにも蝕まれていない子どもにこそあるのだという、魯迅の願いです。だからこそ、彼は学生を大切にし、彼は学生の矢面に立って戦ったのです。
子どもは希望です。子どもを育てるというのは、親の義務というより、未来への希望を託す社会の義務です。親は社会に生きる一員として、子どもを育て、正しきを教え、学を備えさせる役割を担っているのです。教育の担い手が親であろうが、学校であろうが、塾であろうが、子どもと関わるというのは、未来への希望に対して責任を果たしているに過ぎないのです。
私が塾でも学校でも子どもに学習指導を行うときに信条としていることは、とにかく物事の本質を伝えるということです。何が大事なことなのか、生きるために何を大切にして、何をするべきなのかを伝えることです。そして、どの授業でも伝えているのは「社会のお役に立てられるように、今からしっかり勉強しておくんだよ」ということです。それが教育の役目なのです。それを「コスパ」という言葉と重ねてしまうなんて…。とても残念です。
塾は費用がかかります。それは塾を維持するためにどうしても必要な費用です。そして、費用がかかる理由は、責任を果たすためです。エネルギーをかけて責任を果たすための費用でもあるのです。実力を伸ばすことに本気で向き合いたいという方には全力を傾けます。そんな国語専門塾でありたいと覚悟を決めています。
目下、体験授業の受付を行っています。当教室では、本気でお子さんの未来を考える親御さんと、二人三脚で歩む準備は整っています。ぜひ、ご検討下さい。