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事実だけを書く日記

2022/05/24

書くことの練習として、「日記を書く」ということが勧められることがしばしばあります。
「日記を書く」と一言にしても、そもそも書くことが苦手であれば、何を書けばいいのか分からない。
その「何を」には自分の気持ちや考えを書かなければならないという思い込みすらあるようです。

そこで、現在当学院で取り組んでいるのは「事実だけを書く日記・記録」です。
その日の出来事、自分の行動を、感情や気持ちを一切入れずに書く練習です。

例えば
2022年5月23日
朝六時三十分に起きる。朝食にはパンとバナナを食べる。飲み物は牛乳。学校へ向かい、七時五十分に着く。一時間目は体育。暑かった。授業の後、水とうの半分以上の水を飲んでしまう。給食はカレーライス、サラダ。今日もだまって食べる。残さず食べた。放課後はクラブ活動。家には四時過ぎに着く。おやつのグミを食べながら宿題をする。宿題は漢字のプリント。自主勉強のやることを考えたあげく、計算問題に取り組む。

こんな記録をただダラダラと書いていてどうするのと思われてしまうかもしれません。
しかし、事実や知識などを的確に記述することはとても重要です。

私たちが何かを感じる、何かを考えるために必要なことは目の前の事実や知識なのです。その事実の描写が的確で、詳細であればあるほど、自分の感情や思考が豊かになってくるのです。

「道にタンポポが咲いていた。」という事実の記述より、「草一つ生えていない道路のはじに、一輪の黄色いタンポポが咲いていた。」と記述する方が感じること、考えることが多様になるのです。

先の例を読み直してみると、どこでもいいのでより的確に、詳細に書けば、何かしらの気持ちや考えを得ることも可能でしょう。「朝六時三十分に起きる。」というところでも、「給食はカレーライス、サラダ。」というところでも、どこでもいいのです。事実を的確に、詳細に表すことができるようになれば、それに伴って、何か感じるところ、思うところ、考えるところが生まれてくるのです。
例えば、「朝六時三十分に起きた。すでに日がのぼり、太陽の光がカーテンのすき間から射しこんでくる。体を起こすが、頭はぼんやりしている。昨日の晩は十時過ぎにねたためだろうか。すい眠時間が少し足りないのだろう。もう少し早くねれば良かったと思っても、なかなか眠れなかったのだから仕方がない。」最後の「仕方がない。」は書き手の評価になりますが、それ以外はほぼほぼ事実の描写です。そのような描写があるから評価や気持ちを抱くことができるのです。

「その日の出来事を書いて、自分の考えたことや気持ちをまとめてみよう。」というややぼやけた指示で日記を書くのではなく、ここは徹底してその日の記録に徹してみるといいでしょう。その記録の先に、思考が芽生えてくるはずです。事実だけを書くのも素敵な学びですね。

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